1954年(昭和29年)の創業以来、下堂園は技術者として、茶商として、生産者として、鹿児島茶の普及に努めてまいりました。
その昔、「安かろう、不味かろう」と言われていた鹿児島茶。その評価を覆し、誰もが「おいしい」と感じるお茶に、日本が誇れるようなお茶にしたい――。その思いから生まれたのが、いまでは鹿児島を代表する品種になった「ゆたかみどり」です。
現在では、大手飲料メーカー様への茶葉提供を始め、洞爺湖サミットで振舞っていただけるまでに、皆様から高い評価をいただけるようになりましたが、ここにいたるまでには、さまざまな苦闘がありました。ここでは、「ゆたかみどり」が生まれるまでの物語をご紹介いたします。
「安かろう、不味かろう」であった鹿児島茶

江戸時代、島津藩が茶葉の生産を奨励したことをきっかけに、鹿児島では昔から茶葉の栽培が行われていました。しかし、「ゆたかみどり」が登場するまでの鹿児島茶は「安かろう、不味かろう」といわれて、見向きもされないような存在。静岡茶や宇治茶と比較して、「とても飲めたものじゃない」とさえいわれていました。
ですが、そうした評価を受けるだけの差があったのも、また事実です。静岡や京都といった茶所と比べ、後発である当時の鹿児島は、まだまだ茶の生産技術が確立されていない後進県だったといえます。
鹿児島に生まれ、茶の栽培・製造を指導する技術者として活躍していた下堂園の創業者・下堂薗實は、そうした評価を覆したいという思いを抱きながら、1954年に「お茶の下堂薗」を創業。創業から8年後の1962年(昭和37年)2月には、「有限会社下堂園茶舗」を設立するにいたるなど、事業を拡大していきます。
そのすぐ後、昭和40年代に入ると、高度成長社会を背景にしつつ、お茶の需要が全国で爆発的に伸びていきました。「安かろう、不味かろう」といわれた鹿児島茶も、需要が一気に増え、茶葉を扱う農家もそれにあわせて、爆発的に増加していきました。
それでも、「安かろう、不味かろう」という評価は相変わらず。鹿児島産の茶葉は、静岡産や宇治産の茶葉を水増しするための“増量剤”として使われていたにすぎません。いくら商いとはいえ、鹿児島の生産者たちにとっては、そこにぬぐえない思いが溜まっていったことでしょう。「自分たちも旨い茶を作りたい」「作れるんだ!」という思いが。
茶葉「ゆたかみどり」への着目
下堂園の創業者・實は、順調な商いで築いた地盤をもとにして、試行錯誤をはじめます。「鹿児島生まれの、日本一おいしいお茶」を作るために。そうして、さまざまな可能性を模索するうちに、1人の研究者と出会うのです。彼の名は岡村克郎。後に下堂園の顧問となる、茶業試験場の研究者でした。
当時の岡村は「茶葉の収量があり、収入が増える」という理由で、とある品種を茶農家に勧めていました。「Y-2」と記号的な名で呼ばれていたその品種は、1966年(昭和41年)に鹿児島県が「ゆたかみどり」と命名し、現在では当地を代表する茶葉になっています。
寒さに弱いという弱点を持つ「ゆたかみどり」ですが、霜の影響を受けない温暖な地域であれば、これほど安定した収穫量を見込める茶葉はありません。日本全国で親しまれる緑茶の主力品種、「やぶきた」よりも早く収穫でき、繁殖力がある茶葉「ゆたかみどり」。茶農家たちは、研究者・岡村の言葉に、大きな期待を抱きました。
「ひっこやせ」といわれたお茶
赤みがかり、味は渋い……。とても緑茶とは呼べない、質の低い茶がそこにありました。多くの人が期待し、長い年月をかけて育ててきた結果が、「赤く渋い」お茶だったのです。
「このお茶、どうするんだ?」
「失敗じゃないのか――」
茶農家をはじめ、多くの関係者からは、そんな声が囁かれました。それは、實も同じこと。茶商として、仕入れから卸売業まで、まさに“茶の見極め”を生業としていた当時の實から見ても、「ゆたかみどり」はとても売り物になる味ではなかったのです。
実際、「ゆたかみどり」を初めて飲んだ實が、「こんな不味い茶、作るんじゃない! ひっこやせ!」と、岡村を一蹴したという逸話が残っています。
「ひっこやせ」とは、鹿児島弁で「ひき抜く」の意味。研究者・岡村と茶農家の努力を知った上でなお、この品種に時間を割くことは、地元にとって利益にならないと、当時の實は思ったのでしょう。
それでも、岡村は諦めませんでした。「ゆたかみどり」は必ず、鹿児島の地に適した、おいしいお茶になるという、研究者としての確信があったのです。当初は「ゆたかみどり」に強烈な疑いの目を持っていた實でしたが、「ひっこやせ」といわれてもなお、「やってやるわい!」と返してきた岡村の強い思い、熱意を目の当たりにすると、次第にその思いを変えていきました。
茶農家から仕入れたこの「ゆたかみどり」を、なんとかして、お客様に買っていただける「商品」にしなければ――。茶商であり、お茶の技術者である實には、ある確信がありました。火入れの加熱温度や茶葉の投入量などを工夫すれば、必ずお茶の香味は上がるはずだという確信です。
また、實には“確信”のほかに、切実な“事情”もありました。仕入れた茶葉を捨ててしまうことになったら……。そう、このままだと、實は大変な損を背負うのです。